『らくだの涙』ビャンバスレン・ダバー監督インタビュー

tofu22004-08-03




どこまでも続く青い空、広大で美しいモンゴルの大地。そこに生きるラクダの親子。自分の子供に愛情を向けられない母ラクダは、奇跡の音楽療法によって子ラクダに対する愛情が芽生える。『らくだの涙』は、モンゴルに生きる遊牧民族の家族の姿とともにラクダの親子を捉えた珠玉のドキュメンタリーだ。03年トロント国際映画祭で各国のジャーナリストやバイヤーから大絶賛された本作は、ミュンヘン映像映画大学の学生の卒業制作だという。驚きの完成度で世界を感動させたビャンバスレン・ダバー監督にインタビュー。



伊藤:ラクダを描きつつモンゴルの遊牧民族の家族も丁寧に描いています。どちらを中心に描こうとしていたのですか?


ダバー:ラクダと遊牧民族は切り離すことができない関係にあります。ラクダを撮るためには遊牧民族が必要です。遊牧民族を描くには家畜が必要。どちらも密接に関係があるのです。


伊藤:家畜と遊牧民族の密接な関係については、幼い頃から知っていたのですか?


ダバー:私は生まれも育ちも首都なので田舎に住んだことはありません。でもモンゴルは夏になると1カ月以上お休みがあって、必ず田舎で生活します。そうしないと冬に風邪をひいたり病気になったりすると言われていて、都会の人間も田舎で生活したことがない人はいません。


伊藤:本作を作ろうと思ったきっかけは?


ダバー:ふたつのきっかけがあります。幼い頃、授乳を拒否された子ラクダが音楽療法によって母ラクダの愛情を得るという短いドキュメンタリーを観たことがあるのです。とても感動しました。それが理由のひとつ。そして、私がドイツに行ったこと。外国からモンゴル民族を見直した時、自分たちの民族や伝統を新しい視点で捉えようと思ったのです。


伊藤:撮影にあたり、事前に映画の構成や脚本を持っていたのでしょうか?


ダバー:もちろんありました。というのも、モンゴルの習慣や遊牧民族の伝統的な行事を撮りたいと思っていたので、撮影順序の予定を持っていきました。それに今回は勉強をしている学生であり、お金も必要だった。資金提供してくれる人たちに、映画の内容を説明する必要があったので、資料として映画の構成などはしっかりと作っていました。


伊藤:編集作業はどのようにされたのですか?


ダバー:モンゴルで7週間掛けて撮影したものを、ドイツに戻って編集しました。今回は学生の卒業制作としてテレビ用作品を作る目的で現地に行っていました。ドキュメンタリーの良いところでもあり悪いところでもありますが、イメージしていた映像が現地で撮れなかった場合があります。でも、思わず撮れた素晴らしいシーンもたくさんありました。それらを編集して作品にしたのですが、完成した作品はテレビ用ではなく劇場公開される作品に仕上げることができました。

 
伊藤:ナレーションがなく、セリフが極端に少ないですが、これは意図されたことですか?


ダバー:そうです。最初からそういう形にしようと決めていました。私は元々、インタビュー的な会話があるものや、第三者がナレーションするようなものが好きではないのです。また、撮影したその場にある音を全て録音したかったのです。映像の中に登場する人たちが自ら発する声、音、全てを収めたかったのです。


伊藤:ミュンヘン映像映画大学での卒業制作作品ということですが、学校の授業はどのようなものなのですか?また好きな科目、苦手な科目は?


ダバー:最初は講義の授業が多いです。映画の歴史とかですね。でも私は言葉の問題もあったので講義の授業はあまり好きではありませんでした。ただ実習の授業は全て好きでした。試験のために勉強をすることが多いですが、今は嫌いな授業はなくなりましたよ(笑)。


伊藤:そもそもミュンヘン映像映画大学に行ったきっかけは?


ダバー:それは長いお話になりますよ(笑)。簡単に言うと、どんな分野でもいいからミュンヘンに行こうと思っていたのです。というのは、ドイツは授業料が無料だったからです。私にはお金がなかったのでミュンヘンに決めたのです。それまではモンゴルの大学に入学後、映画専門学校であるフィルム・アカデミーに通い始め、それからミュンヘンに行きました。


伊藤:映像関係に興味を持ったのはいつ頃ですか?


ダバー:幼い頃から女優に憧れていて、子供劇団に所属していたのです。それからテレビの子供番組の司会をやるようになり、モンゴル・テレビのナレーターやアナウンサーをやっていました。そしてこの世界に入ったのです。


伊藤:今後は制作側としてのキャリアを中心にされるのですか?


ダバー:もしモンゴルで90年に起こった大きな政策転換がなければ、たぶん女優になっていたと思います。でも学校に行くのに全てお金が掛かるようになった。90年当時はそれでも女優になるために模索していましたが、94年くらいになって、突然女優への興味が全くなくなったのです。ですから、その時点で女優としてのキャリアを考えることはなくなりました。今は、カメラの後ろに立って、人に演技をしてもらう方が楽しいですね。


伊藤:今作はふたりで監督されています。今後も誰かと共作という形になるのでしょうか?


ダバー:ルイジとは今回で3作目になります。とはいえ、前作2本は私の作品のカメラマンとして参加していました。でも今作は、素晴らしいテーマだったことと、卒業制作をしなければならなかったこともあって、一緒に作ることにしたのです。二人で監督をしたことによって、お互いの足りない部分を補いあって作ることができました。モンゴルの自然や人々については私の方が知っている。でも外国人の目から見たモンゴルは分からない。その部分を補い合えたので、よかったと思います。でも次回は一人で監督をすると思います。


伊藤:次回も自然を扱う作品になりそうですか?


ダバー:やはりモンゴルを扱っていくと思います。というのは、今のモンゴル社会は大きく変革しているのです。その変わりつつある現状を捉えていきたいのです。